傘寿をむかえて

私達高3期生は、本年 傘寿を迎えるにあたり、去る4月19日、前回と同じ 「ホテル日航大阪」で、同期会を開催しました。
87歳の高齢をおしてご出席下さった恩師 西田先生を中心に、遠くは千葉、東京 そして、名古屋からの参加者、あるいは、30数年ぶりの㋾老踏む四十命、「後期高齢者」の賑やかな輪が広がりました。母校を巣立って丸60年がたちましたが、白髪も皺もいつしか脳裏から消え去り、タイムスリップに酔うことができた和やかなひとときでした。とは申せ、前回からの1年半の間に 5名が鬼籍に入られ、また健康を損なわれて欠席となる友が目に見えて増えてきました。寂しいかぎりです。
このような情勢下、私達同期会も先行き不安がよぎりますが参加された皆さんのお顔を見れば、この会ーやれるとこまで続けよう! との気概がわきあがってきます。
末筆になりましたが、当日、白稜会役員の今井様が、会場まで「同期会活性化助成金」をおとどけくださった上、同窓会の現状についてお話し頂きました事を付記し、茲に、御礼申し上げる次第です。

                   記   中島 徳郎

平成29年 2017年

私たち高3期同期会は、去る平成29年5月10日、大阪駅のホテルグランヴィアで開きましたが、

最後の同期会ということもあってか、前回、前々回を遥かに上回る37名もの出席者で

 賑わいました。

千葉、東京、横浜など関東地区、名古屋そして愛媛など遠方からの方や、なかには

 何十年振りかの懐かしい顔もあり、さらに今回の特徴として、家族の送り迎え付きの方が

  幾人もおられました。 また、ホテル側が 予想を超える出席者増に対応して広い部屋を

 急遽用意してくださり、今までにないゆったりした会場になったことも 和やかな雰囲気つくり

 に寄与しました。 いずれにせよ、最後の同期会を盛り上げてくださった皆さんのご協力には

 感謝、感謝です。おかげで和気あいあい、2時間半の宴会時間は あっという間に過ぎ去り

 ました。

思えば、敗戦の傷跡がまだまだ四囲に転がり、しかし、命だけは何とか助かったという時代に

 私達は泉尾高校に入学したわけで、それから実に70余年今や同期の女性は、平均年齢まで

 あと2年あまり、男性はすでに4年以上も平均寿命を超え、八十路の後半にまで辿り着いて

 います。--「この先は 僅かやなー」 ふと、こんなことを考えながら、席上を見渡した時、

 今日まで同期会を続けて来られたことが、とても幸せに思えると同時に、鬼籍に移られた多くの

 恩師、学友の懐かしい顔が浮かんできました。

会の終わりは、北垣内君の軽妙なハーモニカ演奏、それに続く全員での「蛍の光」 そして

 我らが校歌の斉唱で幕となりましたが、あちこちから発せられた『3年後は米寿、また
 
  会いたいなあー 』 との声に心が惹かれました。

白髪と皺の陰から ふと覗く遥か遠くの青春の面影、その笑顔に大いに癒された一日でした。

 本当に 有難うございました。

平成25年

青春への郷愁ひびく

私たち高三期同期会は、去る平成25年10月24日、梅田の新阪急ホテルで開きましたが、初めて参加の方もあり、和気藹々、2時間半の宴会時間が短く感じられるほど、「青春への郷愁」に浸れる楽しいひと時が過ごせました。

今回の参加人数は26名で、残念ながら1年半前の前回に比べ 13名と大幅に減少しました。やはり加齢の影響でしょうが、しかし、『2020年、東京オリンピックが、私たちの米寿の歳、当面これを目指そう』 との元気な声も聞かれました。
そして、閉会に当たっては、「泉尾高校・校歌」と「高校3年生」を全員で声高に合唱、次回の再会を誓いあいました。

第4コーナーを とっくに回り終え、『健康の格差』が目立つ私たちですが
まだまだ同期会は続けねば、との感を強くした一日でした。

                              中島 徳郎


平成24年

平成22年

初代自治会長 天野氏 ” 喝 ”

1年半ぶりに同期会を 日航ホテルで開催。恩師 西田先生が出席下さり、
男女合わせて 36名の参加がみられました。
永らく お会いしていない人の登場には 「あの人、誰だっけ?」など
 会話は尽きぬもので、60年前の高校時代にタイムスリップし、和やかな
雰囲気に包まれ、会合予定時間の3時間は アッという間に過ぎ行き、
別れを惜しみつつ 再会をきして散会いたしました。

今後の同期会の活動の限界について、是非を問う声もありましたが、
初代自治会長の天野氏の”喝”あり
「出席したくとも出席できぬ者にとって、活動している同期会の存在は
 ”励み” ”慰め”になる。ぜひとも継続を! 」

繋がりを保つことが 大事と考えられ、皆様のご協力を頂きながら
がんばりましょう。

                      
                                                             北垣内 敏治